【005】 駅ビルのない町
 三十代の女性が三歳の女児の手を取り、 駅舎の階段を上っていた。 駅舎とはいかにも古めかしいひびきだが、 エレベーターも、 エスカレーターもない、 昔ながらの造りだった。 

「がんばって、 あといくつかな」
 母親は一段ごとにわが子を励ます。 幼子は懸命に歩幅を広げている。 

 駅舎は近ごろすこし洒落っ気を出して自動改札になった。 ホームへの下り階段の踊り場には、 窓枠を利用した、 小さな花壇がある。 小ぶりの植木鉢が8鉢ばかりならぶ。 これらミニ園芸は駅舎が二階建てに改造されたときから、 いつもなにかしらの花を咲かせている。 
 乗降客の目を愉しませて、 もう十数年経つ。 

 駅員が如雨露(じょうろ)に水を汲んできた。 植木鉢ひとつずつ丁寧に水を撒く。 足元をぬらせば、 乗降客が滑って転倒するから、 ことのほか慎重だ。 

「きれいね」 さっきの幼子が指す。 

「この小さなバラは、 今年よく咲いているわね」
 それはわが子よりも、 駅員に聞かせる口調だった。 駅員は日ごろの手入れを誉められたかのように微笑む。 それだけことだが、 妙に親しみのある情景だ。 

 母子がホームに立つ。 最新型の特急や快速がこちらのホームの乗客を見下したような態度で、 風を切って通過していく。 急ぐ電車など、 先に行ってしまえばいい。 この駅に停車すれば、 かえって情感を壊し、 不似合いなのだから。 かつて鈍行とよばれた各駅停車が、 やがてノコノコやってきた。 母子が手をつないでゆっくり乗り込む。 後方では車掌がじっと見守っていた。 


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