【045】 銭湯の開店
  一番風呂の湯がそれこそ一番だ。 江戸っ子だ、 内風呂なんて、 好かないね。 銭湯が一番。 開店15分前から待つのも楽しい。   それなのに、 うちのカカァはわかってないね。 出かけぎわに、 決まってこういう。 

「開店してから行けば、 なにも銭湯が逃げるわけじゃないし」
  バカいうんじゃないよ。 銭湯が開店したら、 服をさっと脱いで、 一番風呂に飛び込む。 江戸っ子は、 二番煎じが嫌いだ。 二番手だったら、 面白くない、 今夜の晩酌がまずくなる。 

  湯船に入れば、 いい人生を感じるね。 ところで、 姐さん、 ずいぶん白髪頭になったね。 
「あら、 わるかったわね」
  そういう意味じゃない。 花街の芸者でならしていたころも、 いまも色っぽいよ。 
「旦那は、 口が上手いね」

  思い出すね、 姐さんが一番風呂に入って髪結にいって、 和服を着てお座敷にいく。 遠くから見惚れていたものだ。 街ですれ違っても、 敷居が高くて、 声もかけられなかった。 

「いいこと言ってくれるね。 うれしいね」  下っ端の職人だったころ、 一番風呂にいく街の旦那衆がうらやましかった。 あんないい人生を送ってみたいと思った。

「そのために生きてきたようなもの?」
  正解だ。 姐さんもそうかい? 一番風呂じゃないと、 風呂に入った気分になれない?

「うちの場合は、 芸者のころに身についた習慣が止められなくてね。 昼間だと、 男風呂、 女風呂の天井に桶の音がよく響くし、 天窓から陽が射す。 それがたまらなく好き」  湯船に陽が射す。 姉さんの白っぽいからだが浮かび上がる。 色っぽいね。 想像するだけでも、 たまらないね。 
「お待たせ」
  番台が出てきて暖簾をつるした。 

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