【086】 汽 罐 と 煙 突

 白髪の老人がふいに足を止めた。 かれは若いころから船乗りだった。 日本の主要な港を知り尽くす。 60歳で引退したけれど、 あるときは隅田川の川船で船長帽を被っていたこともある。 
老人のそばには十代初めのひ孫がいた。
  

「汽罐の意味はわかるかな?」
 ひ孫は首をかしげた。 まるで難しい国語のテストに出会ったような表情だ。 
「ポンポン蒸気船って、 どんな船か、 わからないだろうな?」
 知らない。 ひ孫は素っ気ない口調で、 まったく興味を示さなかった。 
 

「焼玉エンジンって、 聞いたことがあるか?」
 ぜんぜん。 
「焼玉エンジンは煙突からポンポンという音を立てて、 煙を吐きだしていた。 小太鼓をたたくようなリズムで。 だから、 ぽんぽん船といわれたものだ。 いい情感があった」
 もうないの? ぽんぽん船は。 
「いまはジーゼル・エンジンなどに変わってしまったからな」
 じゃあ、 みられないんだ。 
「ポン船のあの懐かしい響きは、 もう聞けないだろうな」
 

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